4/4(日) オカマの節句
タイトルに意味はない(笑) すまん。
ところで香織なんだが、今週は春休みで、幼稚園が1週間のお休みなのだ。張り切ってどこかに連れていきたいが、なにせプータローの身の上ゆえ、先立つものをそれほどつぎ込むワケにもゆかぬ。うむぅ鳳凰め。
とはいえ、やはり娘はかわいい。吉田さんもお嬢様が保育園の入園式だそうだが、まずはおめでとうございます。そういう日はガツンと休まなきゃ。そんな日にまで働いてちゃダメよ、人として。
今日は香織はパティオに出て、チョークで落書きなどして遊んでいたのだが、そのアウアウやっている振る舞いがすでにカワイイので、ついついじ〜っと眺めてしまうし、クスッと笑ってしまうよ。わはは。親バカですまん。
香織が楽しそうにしてさえいれば、それだけでオレ的には充分に満足なのだが、ふと考えてみると、逆はどうなのだろう… そう、オレがやりたいと思うことをやり、なりたいと思うものになろうとすることが、そのまま香織にとっても良いことなのかどうか。これは充分に考えるべきテーマではあるよなぁ。
例えば今回のオレの転職の一件だ。オレとしては満足しているし、もちろん後悔などするべくもないが、香織にしてみればいい迷惑でわないか(汗) やっと慣れ親しんだ学校、友人から引き離され、まったく見ず知らずの学校に転入させられてしまったワケだし
。
ステレオタイプな二流ドラマとかにありがちな、なにかというとすぐに対立する父親と娘、という図式があるよね。「誰が育ててやったと思ってるんだ!」「誰も育ててくれなんて頼んでないわ!」などという、アレだ。
アレ、イヤだよねぇ。だが確かに香織はいまのところ、その生活を完全にオレに依存している。もっと直接的に言うと、オレの収入に依存している、と言えるだろう。そりゃまぁ5歳なんだから当然なのではあるが…
気の進まない仕事、興味のない仕事を、ケッ、こんな仕事やってられっか、と悪即斬とばかりに切り捨てるのは、オレ的にはまったく真なのだが、これは香織にとっては…。やはり、それらしく安定した生活基盤というものは、子供が育つ上では欠くことができないしなぁ。う〜む、悩ましいぜ。
ここのところ、こんなことをずっと埒もなく考えているのだが、ちっとも考えがまとまらぬ。だが、ひとつだけ言えることは、親が子を「育ててやった」などというのは単なる勘違い、思い上がりなのではないか、ということだ。なにしろ子は親を選べぬが、親は子を持つか否かを自分で選択できるからだ。育てる覚悟がないのなら、産まねばよいのだ。
実際、香織のことをボンヤリと眺めていて、クスッと笑ってしまう自分を鑑みるに、オレは香織がいてくれるおかげで、人として乾かずに済んでいると思う。まったく、それだけで充分だよ、うん。
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