10/24(金) 子供用の薬

香織がまたしても風邪気味だ。インフルエンザなどの流行性のものじゃなくって、気管支炎とか扁桃腺炎といった類だと思う。ノドがぜろぜろして声がしわがれ、ハナも詰まってしまって息苦しそうなこと見るに耐えぬ。というわけで、掛かりつけのDr.Yoshidaに連れていった。

ていねいな診察を受け、症状を聞かれる。日本語で話せるので安心だ。また、懇切丁寧に説明してくれることといったらない。症状が収まるまでに注意すること、薬の成分や服用の仕方など、聞こうと思っていたことはすべて先に教えてもらえた。大満足。

もちろん、会社で保険に入っているのだが、その保険証がクレジットカードみたいなヤツなんだよね。で、それを会計で見せると、たいていいつも$5とか$10とか払うだけだ。で、しばらくすると保険会社から、実際の費用はいくらで、保険がどこに適用されて、結果的に$5になりました、などという細かい明細表が送られてくる仕組みだ。この仕組みも結構気に入っている。オープンでいいよな。

で、実は薬局で薬を処方してもらったのは初めてだったのだが、ドクターは日本語でも、薬局は英語で受け答えしなければならない。シロウト相手に専門用語の応酬になるってこたぁないだろうとタカをくくりはしたものの、ちょっとビビリつつも薬局に行くと、これまた懇切丁寧な説明で、まったく不服はなかった。アメリカの医療保険システムって、保険料が高いのか低いのかよくわからんが、これならオレは文句なく支払うよ、うん。

患者はお客様で、自分達はサービス業なのだ、という自覚がヒシヒシと感じられる仕事ぶりだった。ちっとも偉そうじゃないんだよね。むしろオレ達患者を満足させることにこそ照準を定めている。ところが、患者を客扱いする医者、と日本でいうと、金もうけの対象と見る医者、というのと同義で、ベッド数を増やして患者をどんどん回転させる、とか、薬を飲みきれないほど出す、とか、まったく悪い印象しかないのはオレだけだろうか?

でもやっぱり、患者って客だよねぇ。支払った代金に見合う満足を得たと判断すれば、また行くし、満足できなければ違うところへ行く、という点においては、なんら他のサービス業と変わりはなかろう。だが悲しいかな日本では、特に行政サイドの言うところのサービスというものは、およそ相手を満足させるという意味でのサービスには程遠いのが現状ではなかろうか。

医者は患者の命を預かるのだからうんぬん、などというリクツを聞くが、だからなんだと言うのだ。車の整備工場だって、行き付けのバイク屋だって、命を預かっていることに違いはないんだぜ。ひどい整備ミスをすれば、死ぬことだってあるではないか。オレが通っていたバイク屋さんは、整備に出せば、どこをどう直したのか、なぜ必要だったのか、交換はしなかったけど寿命が近い部品があるから様子を見ておけ、などと日常の注意点も、丁寧に説明してくれたもんだ。なぜ同じことが医者にはできないのか理解に苦しむ。

薬もかなり違う。日本にいたころは、子供用の薬が苦くてマズいらしく、香織に飲ませるのは一苦労だったのだが、今日もらってきた薬は飲みやすいようだ。最初は予想通り逃げ回り、なんとかなだめすかして飲ませたら、おいしいね、このお薬。香織ちゃん、おかわりしちゃおうかななどと言うではないか。計量カップに残っているのをちょっと舐めて見ると、確かに甘くて、なにかのシロップのようだった。

こういう薬を日本でも使えばいいのに。輸入して売ったら? あ、そうか、厚生省の認可が下りないのね。そりゃそうだよな。外国から良い薬がバンバン入ってきちゃったら、日本の薬剤メーカーがピンチだもんね。ワイロがもらえなくなっちゃうんじゃ困るから、認可するわけにもいかないか。などと、邪推したくなるぞ。

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