97/4/20 am 12:30
ここに書くのも、ほぼ一月ぶりだ。思い返してみると、に入ってから、もう3ヶ月以上が過ぎた。あっという間だったなぁ。予定通りすすめば、日本での暮らしも残り3日とちょっとだ。今、世間では会社のリストラが大流行だけど、オレ自身もだいぶ生活のリストラを進めてきた。
車もバイクも売っちまったし、結婚したときの贈り物の大物の家具を除いて、他の家具や電化製品は全部家にそのまま置いていく。長い間かけて買い揃えたオーディオもビデオも、だ。JBLのフルレンジが天井に4本ぶら下がっていて、大画面TVと合わせて、まさにホームシアターって感じだが、それももう、みんな他人の物になってしまった。オレたち家族が引っ越した後、家を借りてくれる人に二束三文であげちゃったんだ。50枚近くあるLDもプレーヤーごと置いていく。
収支だけ考えれば、そりゃもちろん大赤字さ。Santa Claraについたら、皿一枚もないくらしだ。言葉の心配も尽きない。だけど身軽なのもいいもんだ。家族3人+猫3匹で、そんなにまでしてなんでアメリカに行くのか、理由を説明するのはとっても難しいなぁ。
あえて上げるとしたら、そうだなぁ。かっこいいから。わはは!でもほんとだよ。それしか思い付かん。
我々はアメリカに引っ越すつもりなので、この家は貸し出すつもりです、と表明したとき、まわりの連中(実家の親や、借りてくれる相手先も含めて)の反応はそりゃすごかった。こんな家があるのにそれを捨ててまで向こうに行くんですか!?ってのがほとんどだったけどな。
でも、わかるまい。わかってほしいとも思わない。これはオレの、自分自身に対する挑戦だもんな。だから、Santa
Claraで生活し、仕事をし、実績を残す、ってのはオレにとっては目標でもあり手段でもあるんだ。ウジウジと代わり映えのしない暮らしを続けていても、それは緩慢な自殺と同じだ。自分に可能な範囲で、一番大きな変化をもたらしてくれそうなこと、それがシリコンバレーで働くことだったんだ。
だからと接触し、インターナショナライゼーションの重要性を懸命に主張し、Santa
Claraに自分の席を確保した。アパートを手配してもらい、引越しの準備を整え、VISAを取り…すげぇ大変だった。ハッキリ言って、何度も「やめよう」と思った。仕事もキツかったし。だけど、今のこの状況は、全部自分で得たもので、与えられたものじゃない。ここにオレはすごく価値を見出すぜ。できるもんならアンタもやってみな、くらいのもんだ。
これが、オレにとってだけ価値があるんじゃなくてにとっても価値があればいいなぁ、なんてオレらしくもなく殊勝なことを思ってたりもする。
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