12/28(月) パスタ喰って、パン喰って、漬物喰って
アメリカに住むようになって、ほぼ2年が経過した。まさか住むことになろうなどとわ思いもしなかったので、パスポートを作るときに5年ものにしたのだが、それが来年の1月4日に切れてしまう。
だもんで、ポートランドの領事館に出かけて更新手続きをしてあったのだが、今日、新しいパスポートを受け取ってきた。今度は10年ものにしたよ。
そうか、10年ものって赤いのね。古い方のパスポートにはVOIDの印が押され、無効になったわけだが、実際にはそっちにVISAが張り付けてあるので、アメリカに入国するときには結局2通持っていないといかんらしい。面倒じゃのう。
さらに、パスポートの番号も変わってしまった。これじゃ更新じゃなくて新規交付じゃんねぇ? オレ、運転免許みたいに、同じ番号のまま更新するのかと思ってたわ。わはは>無知
しかし、日本を離れて生活し、日本のことを思うとき、日本って本当に空洞化してるなぁって、心配になる。
オレはソフトウェアのエンジニアとして生計を立てているが、特にPC向けのソフトなどに至っては、もはや日本産のソフトウェアはほとんど死滅していると言っても過言ではないと思う。生き長らえているのは、JUST SYSTEMの一太郎関連くらいなんじゃなかろうか。
実際、英和辞典を引くとか、地図を閲覧するとか、そういう土着なカテゴリ以外は、ほとんどがアメリカ産だ。技術的に見て、お、これわ… と思うようなものほど、顕著にそういう傾向が現われているように思うがどうだろう。
組込み系のソフトやファームウェアなどを書いているエンジニアはまだ幸せなほうだな、なんて思う。ホストで回せている業務を、無理矢理WindowsNTに移してどうする気だ? なんて思うけど、そうでもしないと仕事がないとしたら、これはもうしょうがない。
2000年特需なんてのが中小ソフトハウスにはあるのかも知れないが、それを過ぎたらどうする?
なにもこういった先行き不安な閉塞感は、ソフトウェアの世界ばかりではないよな。家電の世界などもそうだ。もうすでに、生産の拠点を日本に置く企業などほとんどないように思う。ほとんどの製品が陳腐化してしまい、よほどの先鋭化した技術を要する物以外は、東南アジアなどで生産したほうが安いので、利潤を追及すれば自然とそういう流れになってしまうのだろう。
自動車関連もそう。工場の閉鎖などが今はまだニュースになるが、これは逆にいうと滅多にないからニュースになるわけで、昨今の金融機関の破綻のように相次いだら、もうマヒしてしまって、あぁ、またか…
と他人ごとになってしまうだろう。
だが、海外に移管するなり企業の規模を縮小するなりの理由で、閉鎖された工場に雇用されていた人はどうなる?どうすればいい?
かつては日本を支えていたはずの製造業というものが、今では雇用力を失い、空洞化している。どうやって日本は喰っていく? 今後の鍵になりそうなコンピュータの分野においては、すでにアメリカに首根っこを押えられているんだぞ。オレ程度のエンジニアでさえ、日本でソフト屋はツライ、とアメリカに来てしまっている。思うに多数の、もっとずっとず〜っと優秀な頭脳が人知れず海外に流出していることだろう。
既得権を手放さず、旧態依然としたやり方で、ちっとも糸口を見いだせない政界・財界のエラい人など、どうせ遅かれ早かれあと20年もすれば、放っておいてもあの世に行く。だが、その遺産として残された超巨額の赤字国債の返済を強いられるのは、オレの子供(香織だよ。なにより大事な)や、そのまた子供、そのまた子供たちだ。いいのか?それで。
オレはヤなこった。悪いがトンズラさせてもらうぜ。
日々の食事で、イタリア製のパスタを買ってきて、家で茹でて食べる。一時は被曝してるんじゃないか、などと言われた、イタリア製のデュラム・セモリナの麺だ。実際に食べ比べて、お、美味いねコレ、というのが確かにイタリア製なのは実に意義深いとオレは思う。パンも喰う。パン屋で買ってきて、家で暖めて食べるのだが、オーブンを開けずとも、プ〜ンとイースト菌の香りが広がり、実際に食べるととても美味い。これなら米大好きなオレも、1日おきくらいなら喰ってもいいかな、と思う。
アメリカに住んではいても、オレは根っからの日本人。美味い米、美味い味噌、美味い醤油、美味い漬物が喰いたいなぁ、と常々思っているのだが、いざ買おうとするとどうだ。米はカリフォルニア産のヤツで、意外に美味かったりするが、工場で大量生産された醤油、ダシ入り味噌とかいう人間の喰い物じゃねぇような味噌、パック入りの漬物、そんなのばっかりだ。
つまるとこ、日本って国は、利潤を追及し、工場で大量生産することばっかりが得意なんだ。それを追及するあまり、味噌だの醤油だの漬物だのといった、古来の品々は、もはや本来どういうものだったのかさえ忘れ去られようとしているように見える。
イタリア産のパスタは美味いし、しかもちっとも高くないぞ。そりゃそうだよな、イタリアじゃ毎日のように食べられているんだろうから。高くちゃやってけねぇ。スーパーの中のパン屋さんで買うパンも、美味いし安いぞ。みんな毎日食べるものだしな。高いわけねぇ。正真正銘の生物だから、急いで食わないとカビも生えるが、日本のスーパーで売ってるパンって、カビ生える?
生えねぇんじゃねぇのか?そりゃもうパンじゃねぇわ。カビにさえソッポ向かれるようなもんを、結構な値段で売ってんだぜ。ハラ立たないの?
今、日本で毎日のように味噌や漬物が喰われているかどうかは知らぬ。だが、味噌ってどんなのが売ってる?ダシ入りハナマルキか。漬物って?キューリのキューちゃんか?それもいいだろうさ。
だが、イタリアで喰われているイタリアの食材、アメリカで喰われてるアメリカの食材といったものに比べて、日本で日本人が食べている、日本ならではの食材、食べもの、というのは、その本来の味を失なっているという意味ではブッチ切りだと思う。
それって、実は恥ずべきことなんじゃないのか? イタリアのパスタ、ピザなどはきっと本当に美味くて、しかも安価な庶民のものなんだろうと思う。インドのカレーなどもそうだろう。それがホンモノだ。そして、世界に誇れるものだ。だが日本ではどうだ?
本当の味噌や醤油、米、酒などを手に入れようと見回せば、大資本の企業による工場での大量生産品に押され、細々と作り続けられている高級品扱いになってしまってないだろうか。そんなものは庶民のものとは言わねぇ(-_-#)
かといって、官官接待が行なわれている高級料亭で、ダシ入りハナマルキ仕立ての鍋をつついてるとも思えぬ。貧乏人は大量生産のマガイ物を喰ってりゃいいってか?冗談じゃねぇよ。そういうところに、日本が低迷している根っこがあるような気がするぜ、オレは。 |