10/03(土) オンライン・コラムを読んで
ZDnetのオンライン・コラムを良く読む。なかなかにして面白い。なんでもかんでも「すげぇぜ!Windows」系の記事ばかりじゃなく、キッチリ文句も付けてるしね。
少なくとも日本のヨイショ記事ばかりの雑誌よりゃよっぽどマシだ。
Dvorakはもともとガミガミ親父系で面白かったけど、最近特に面白いのはMary Jo Foleyというおばさんだ(失礼)。なんでもこの人、Microsoftのブラックリスト(笑)に載っちゃって、最近じゃ取材にも事欠く有り様なんだそうだ。わはは。いかにもだよねぇ。
だってMicrosoftってば、広告代理店を使って、あたかも一般ユーザの意見のようなフリして自分に都合のいい話を広めようとしたりする会社だぜ。信憑性ありまくり(笑)
この人、一番新しいコラム(リンク張ってあるヤツね)で、MicrosoftはLinuxなど恐れていないだろう、とぶった切ってるけど、オレもまったく同感だ。なんでそう思うか、ってのもこのおばさんの言う通りで、MicrosoftがLinuxのやり方をマネしないのが大きな証拠だと思うねオレは(大笑い)。だってそうだろ? Microsoftって結局、真っ先になにか新しい製品を出したタメシがねぇもん。誰かが出して、市場から評価されるのを見届けて、これは売れる、と踏むやいなや大急ぎで似たような(大抵の場合オリジナルを変にいぢって改悪した(笑))製品を市場に投入し、コレはMicrosoftの製品だよ?どっち買うんだ?オラオラ、って市場を持ってくだけぢゃん。
だが、同じオンライン・コラムでも、こっちはまた違った意味で、ちょっと来るもんがあったよ。Jesse Berstって人のコラムなんだけどさ。オレ、この人ひょっとして…? と思ってたんだけど、今回の記事を見てアホと断定することにしたわ。
Linuxは予想より早く躍進するかも知れない、なんて今更ホザいてるけど、もう躍進してるんだよ充分。どこ見てんだろねいったい(笑) WinNTの手強い競争相手になるかも知れないとか言われてもさぁ。オレ的には、Linux側は、NTの脅威になろうとか、NTに対抗するには、なんてこと決して積極的には思ってないぜ。眼中にねぇもん(大笑い) NTなんかどうなろうが知ったこっちゃねぇよ。今現在だって、Linuxを使いたい、使おう、使ったほうが効果がある、と踏んだ個人ユーザや企業はとっくに使ってる。
もちろん、もっとLinuxを普及させよう、普及させるには、という議論なんかは盛んにされてるけど、NTをリプレースするにはどうするか?なんて話にはあまりならない。あくまでもLinuxそのものを見て、こんなソフトが載ればね、とか、ここを強化したいねぇ、という方向の話が主で、NTを見てどうこうなんてのは聞かないもんなぁ。だってNTから持ってきたい機能なんて特にないんだからしょうがない(笑)
このおじさんのコラムで一番ガッカリしたのは「単一のグラフィカルインタフェースを確立し」ないといかんだろう、というくだりだね。もちろんより良いインタフェースが必要(オレはWindow Makerくらいで充分満足だけど)と言われているのは確かで、Linus自身も「NTには見るべきものはないが、Microsoftはユーザ・インタフェースを作るのはうまいと思うよ」(超訳ね)くらいのことを言ってたと思う。だけどさぁ。CalderaのOpenLinuxでWindowsに良く似たGUIが実現されている、なんて鬼の首でもとったかのように今更言われてもねぇ。詳しくは知らんけど、fvwm95とかなんじゃねぇのか?もうずっと前から、Microsoft御自慢のWin95にクリソツなWindowManagerなんてあったけどなぁ。
なにより、Windowsに似てることを高く評価していて、Linuxの「躍進」に必要不可欠かのように書いてるところが、すでに底が見えてると思わないか? 単一のユーザ・インタフェースが不可欠と断じるところも、もうこの人終りかけてるというふうに見えるねオレには。
ユーザインタフェースをどうしようが、それもユーザの「自由」なのだ、という意味の「自由」こそが、Linuxはfreeだ、というときのfreeの意味なんであって、決して「無料」ということのみを意味しているワケじゃないんだが、そこんとこがわかってないらしい。
だってそうだろ? 仮にWindowsにウリ2つなGUIを持たせたとして(もう実現されてるけどさ)、Windowsしか使ったことがないユーザに使わせたとしよう。そら当然、同じ操作を受け付けるわけだから、窓を開く、閉じる、最小化する、最大化するくらいのことはパッとできらぁ。だけど、それは「慣れている」というだけのことで、「使いやすい」かどうかとは直接の相関はないんじゃないの? 慣れてるから使うってのももちろん重要な選択上のポイントだが、他にももっとたくさんの選択枝があるんだよ。選ぶ「自由」があるってことが大事なんだと思うんだけどな。一つしかないんじゃ進歩しないぜ。いろいろあるからこそ比較され、進歩が促されるんじゃないか。
企業が採用するうえで、単一なユーザインタフェースのほうが都合がいいのは、ヘルプデスク関係とか、社内のユーザ教育とか、そういう部分でだろう。だったら、たくさんあるインタフェースの中から、コレだ!と思うものを、その企業が好きに選べばよかろう。そしてそれを、その企業内での標準と「決定」して運用すればいいだけの話だ。同じ事やってるだろうに。MS Officeを標準にします、とか、ウチは社内ではIE4を標準にします、とか決めて運用してるだろう?
OutLookとNotesのインタフェースなんて、ちっとも共通じゃないし統一なんてされてないけど、市場はその両者とも受け入れている。共通なのなんて、右上のてっぺんに×があって、押せば閉じるとか、その程度のもんだろ? なんでLinuxが単一のGUIを確立したり、あまつさえ標準のお済み付きをどれかに与えなければならないのか、理解に苦しむ。根拠が希薄すぎ(笑)
LinuxのみならずUnixでは、GUIを提供する部分も単なるアプリと等しく差し替えが容易に可能だ。差し替えたところで、程度の差こそあれ、窓の開け閉めなんかの操作が変わるのが主で、その窓を占有する、肝心なアプリケーションそのもののインタフェースは、アプリ自身に依存する。なんら変わりはしないワケ。WindowsやMacの世界となにも変わりゃしない。むしろ、公開された一定の手順に則って、窓の開け方閉め方、見た目などを変更することができる、という点においては、統一されてないどころか高度に統一されているとさえ言える。このおっさん、自分じゃ使いもしないで言ってるのがバレバレなんだよ。
Windowsの世界でだって、ブラウザやオフィス製品なんてどれ使っても似たようなことはできるだろ? 差し替えもできるし、場合によっては同じ用途の製品を複数使い分けている人もいる。モジラとIEを両方入れてる人なんてよく聞くじゃん。Windowsが躍進するには単一のブラウザが不可欠だ、なんて真顔で言ったら、おそらく「コイツ馬鹿か?」などと思われるだろうが、このJesse Berstというコラム書きのおじさんの言ってる「Linuxの躍進には単一のGUIが必要」なんてのは、オレ的にはほとんど同じことを言ってるんだよ。そんなもん好きなの使えばいいじゃんで終る話なの。
GUIとOSそのものが不可分な(早い話が不自由な)Windowsを基準としたモノサシでしかものを見ないから、それ以外のOSにさえ、そのGUIはすべて等しくあるべき、なんて寝惚けたことを真顔で言っちまうんだと思うが、どうだろうか?
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