11/9(日) 存在価値

やれやれ、ムチャクチャ忙しい一週間だったぜ。日記なんか全然書くヒマがなかった。今もまだ決してキリがいいワケじゃなくて、今日もよっぽど仕事しようかとも思ったが、せっかくの日曜だし、休むことにしたよ。

10月の最後の日はハロウィンで、香織の幼稚園でイベントがあったり、カボチャ掘ったりいろいろあったのに、ちっともリアルタイムでアップできず残念。今から思い出しながら書いても面白くないんで、写真だけ載せとこう。というわけで、「家族の肖像」が大増量されてるので見てね。

ところで、忙しかったのにはワケがあって、担当している製品のバージョンアップがあって、日本向け、韓国向けの作業がピークだったところに、さらに今後のInternationalizeの進め方、必要なら組織の変更もニラんだミーティングが連日行われて、日中はそっちに出てたのが大きな原因だ。なかなかにして、オレにとっては重大なミーティングだったかも知れぬ。これについては思うところもあるので、後日考えをまとめて落書き帳に書こう。

しかし、思い返すとオレもずいぶんと職場を転々と変えたものだ。今の会社で実に4社目だよ。職種はずぅっと一貫してソフトウェアエンジニアだが、アメリカの会社で仕事をするようになるなんて、昔は考えてもいなかったなぁ。だけど、今がいちばんいい仕事をしているような気がする。なにしろ、こっちの会社はオレみたいな日本だとちょっと浮いちゃうタイプのエンジニアには天国だ。服装は自由だし、うっとおしい飲み会みたいなのもないし、満員電車で通勤することもない。オレ、もう日本で仕事できないかも。

日本の会社って、最近は就職活動ってどうなってんだろ。もう就職協定って撤廃されたんだよねぇ確か。でも、学生はみんなリクルートスーツきて回ってるんでしょ?あれって変だと思わないのかな誰も。いや、思っているはずだよね絶対。だけど、我が社は個性ある人材を求めています!とか言ってる会社に、ジーンズにTシャツで後ろ髪束ねて面接に行ったらどうなる?

学歴、ということを考えて見ると、オレは必ずしも学問としてコンピュータの教育を受けたことはない。四年制の大学を出てはいるけど専門は化学で、白衣着て実験ばかりしていた。えっちな産婦人科の先生みたいとなぜかよく言われた(^-^;) 学問としての化学は好きだったからそっちに進んだが、当時から就職はコンピュータ関係にしようとは思っていたんだよね。また、当時はあんまりその手の学部・学科でちょうどいいのがなかったんだ。レベル高すぎて入れなかったり、すごく遠かったりして。考えて見りゃヒネクレた学生だったなぁ。

社会人になりソフトウェアエンジニアとして給料をもらうようになって10年経つけど、未だにオレにはコレだといった専門的な知識なりアドバンテージといったものはないような気がする。スペシウム光線とか、卍固めとか、ウェスタン・ラリアット、デンプシー・ロールに至るまで、生き残るヤツってのはすべからく必殺技を持っているよね。オレにはそういうのはない。

世界中を見回してもオレにしかできない、というものはないんだ。結局、極々ミクロ的な視野でオレを含んだ近傍の10人程度を見渡し、オレがやるのが適切かな?という判断がどこかで働き、それなりの結果をなんとかヒネリ出す、その繰り返しでここまで来たに過ぎない。その場、その時のオレのままでは結果が出ないな、と自分で思ったときは、それなりに付け焼き刃で学び、対処してきた様にも思う。

アメリカにいればこそ、日本向けの工程を受け持つ専門職ということでビザなんかもらってるが、こんなの他の日本人、とくに外資系のエンジニアなら誰でもできそうだもんなぁ。こっちに来てまでやるってヤツが少ないから結果的に人数が少なく、専門扱いされてるだけだ。大した事ねぇなぁとも思うが、実際に大した事ないんだからしょうがない。

オレの存在価値というのは、つまるところ、今の自分では能力が不足しているな、と気が付いたときに、学んで身につけようとする意志がまだある、というくらいかなぁ。せめて、わからないことを、わからない、教えて、と言える人であり続けたいものだ。

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